ベトナムの企業社会の共通性と特殊性について

ベトナムの南北問題については、別稿で述べさせて頂きましたが、

本稿ではベトナム社会の日本との共通性と特殊性について述べさせて頂きます。

1.賄賂社会:行政と企業の関係

アジア、東南アジア諸国で最もベトナムを特徴付けるのが賄賂社会の問題です。

公務員は最低賃金レベルの給与しか与えられない反面、給与に釣り合わない家屋や車のような資産を持つことがしばしば指摘されます。

税務監査、消防監査といった行政上の監査が行われ、その行政官庁の承認が企業経営を継続する上で必須となる場合、しばしば理不尽な不適合判断が下され、それを適合として貰うために袖の下を提供するというのがベトナムでは良く聞く話です。

日系企業の場合、本社側のコンプライアンス準拠指導が徹底して行われている企業の場合は、そうした対応は一切行われない、という事実も一方にはありますが、行政との関係を円滑化するために対応している企業もあるようです。

税務監査での実例ですが、監査員の指摘が余りに理不尽であったため、日系企業から監査者の上席者に問題を指摘したことで、理不尽な指摘が取り下げられた事例があります。

 

2.企業間取引における賄賂

もう一方、企業のベトナム人購買責任者や経営層までもが、賄賂を要求する、ないしは賄賂を提供するベンダーを選定する、ということがしばしば聞こえて来ます。

民間企業でこうしたことが起きると、購買側企業は本来最適ではない商品を購入することになるわけで、購買する企業にとって損失です。

私が最後に勤務した大手システムインテグレータは、コンプライアンス上、こうした顧客の要求に応じることは一切なく、純粋に技術で勝負をしていました。

 

現在の賄賂社会体質が改められるのが何時になるかは予測できませんが、これが健全な経済成長を阻んでいることは間違いないため、いずれは是正されると思います。

是正される際には、それまでの収受の事実が明るみに出て、贈賄側も咎めを受ける、ないしは社会的信用を失うリスクがあることを考えると、コンプライアンスを厳密に守るべきと考えます。

 

3.ベトナム人の共通性

そうした中で、ベトナム人、ビジネスパーソンの人間性・清廉性、仕事に取り組む姿勢はどうか、という点では日本人と何ら変わりがないというのが私の認識です。

教育の在り方によるものと思われるの、思考の柔軟性にやや欠けるというのは、しばしば指摘されるところではあるものの、元々勤勉で、器用で、教育レベルも高いという点では日本と同等と言って良いと思います。

何より重要なのは、次の経営層候補として企業の社会的意義、理念に共鳴して率先して困難な仕事を引き受けて乗り越えて行く志の高い人材に私は何人も出会っているということです。

ある大手日系企業の経営層の方が言われていたのは、ベトナム人に対して否定的な評価をする人は、自分自身がベトナム人とどう接して来たか、そこに問題が無いかを問うべきだということですが、私も彼の見解を支持します。

ただ、企業内で幹部として登用して行く中で、先に述べた賄賂体質が現れて来る人材も居るため、人材の見極めとコンプライアンスを含めた企業理念を浸透させることを怠ってはいけません。こうした罠が最後に待っているのがベトナムである、ということは肝に銘じる必要があります。

 

もう一つ、ITシステムインテグレータの仕事の際に感じたのは、

ベトナム都市部ではソフトウエア開発を中心にしてITエンジニアの需要が高く、給与レベルも高いのですが、各企業のIT担当として採用される人材は給与レベルも月並みで必ずしもITインフラに精通していません。

そうした場合、ITの分からない日本人管理職が、そのベトナム人の言いなりになって適切な判断を下せない、日系ITシステムインテグレータが入って適正な提案をしていく中で、それら中途半端なIT担当を説得するのに一苦労するという場面が多く見られました。

IT担当を下手に置かないで、信頼できるITシステムインテグレータの保守サービスを受けるのが最善です、という提案はITシステムインテグレータの立場を離れた今でも適正であると感じています。

 

一方、大手企業は本格的なスキルを持つ現地人IT担当を採用していますが、そこでも先に挙げた賄賂問題が起きていて、企業理念・コンプライアンスを浸透させることの重要性を痛感します。

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私が何故ベトナム企業を退職したか

私のベトナム企業での体験が、ベトナムで経営層として活躍されている方々、及び一般的に企業経営の在り方を考える上でご参考になると考え、本稿のテーマとさせて頂きます。

1.ベトナム現地企業での副社長としての勤務

ハノイに本社のある150名ほどのベトナム現地企業、ITシステムインテグレータで、ホーチミンシティ(HCMC)拠点の日系企業向け営業管理職として採用頂く機会を得ました。
2か月の試用期間明けに副社長就任の辞令を頂き、営業活動だけでなく、組織体制の整備にも力を注ぎました。

管理職が部下の仕事のミスについて責任を感じていない、管理職自身がプレイヤーとして実績を上げることが使命となっていて、部下を育成しながらチームとして力を付けて行く、という姿勢が、営業部門でも技術部門でも欠落していて、その点を自身の支店で改めながら顧客開拓を進めていました。

そうした中で、HCMCの営業担当が自分が顧客と密接に連携しながらITシステムの仕様決めを主導し、顧客から入札案内が届いて、ハノイ本社のエンジニアに設計・見積を依頼したところ、その部門が見積内容を先にハノイの営業に渡したため、その案件をハノイ営業が受注することになった、という事件が起きました。
ハノイの設計部門は更にHCMCに出す見積価格を1割近く高く設定していたことも後で判明しました。

ベトナムの場合、南北問題が非常に根強い問題としてあり、これはその一端を表していると言えます。

2.ベトナム戦争後のベトナムの歴史

ここで、ベトナム戦争後の同国の歴史をご説明します。
(JCCH 正式認可20周年 記念講演 2018年9月24日「ホーチミン市:過去・現在・未来  日本人はどう貢献できるか?」早稲田大学 坪井善明教授 から私が取ったメモの抜粋)

ベトナム戦争は米国配下のサイゴン(現HCMC)を首都とする南ベトナムとハノイ拠点の北ベトナムの戦争であり、1975年のサイゴン陥落は北ベトナムが米国に勝ったと同時に同じ民族の南ベトナムに勝った戦いでした。
その後、人々がボートピープルとなって米国やカナダ、フランスに逃れたのは、北側の弾圧を恐れたためです。
実際に1990年代までは北部から大学教授、公務員が送り込まれ、旧公務員子弟は大学に行けない等冷遇されるほか、旧政府関係者は再教育キャンプに送り込まれるといったことが行われました。
しかし、社会主義の強制はうまくいかず、1986年にはドイモイ政策、経済重視政策が取られ、サイゴンは復活します。ベトナムは1990年代後半は生活を安定させる必要に迫られたのです。

鄧小平がまず生活の安定に取り組んでから政治に力点を移していったように
ベトナムも共産党一党支配の中で、まずは経済を重視せざるを得なませんでした。
世界の経済、プラグマティックな経済、資本主義が分かっている人材を首相に据えたのです。
1991年から25年間、首相は連続して南部出身でした。

1990年代後半から越僑が戻り始めました。規制緩和、国籍取得の平易化が為されます。エンジニア、医者、歯科医がまず戻りました。
ボートピープルの子供は教育で成功し、戻ってきたのです。

21世紀になって本格的な越僑の投資が活発化しました。(旺盛な祖国送金 年100億ドル以上)
昔は5-6倍と言われたハノイとの経済格差は現在10倍ほどに広がったと言われます。
海外からの直接投資の120億ドルのうち100億ドルが越僑からと言われ、その7割が南部への投資です。

欧米ネットワークの投資が向かうのが南部です。
北部は日本、韓国、中国の投資で回っているのに対し、南部は欧米のお金で回っています。

2010年代、好景気で越僑と本国のベトナム人留学経験者との協力関係が強化されます。
・SNSの発達で世界情勢が即時に入手できる
・米国系や仏国系越僑と新興財閥の技術・資本提携
2010年代から10万人単位でオーストラリア、カナダへベトナム人が移住、
100億ドルの3割を持って来ていると言われています。

南の経済発展が加速し、北部は追いつけずにいます。
ハノイは米国系越僑を警戒して寄せ付けない背景があります。

南は共産党への不信感が強い中、
中国がこれだけ政治的にも経済的にも大きくなっている上では、
ベトナムが独立を維持するにはHCMの9300万人と300から400万人の越僑と共闘しないといけない、という事情があります。

ーメモ引用終わりー

端的に、経済を支えていることを自認する南ベトナム人と戦争の勝者としての北ベトナム人という構図の中で、ハノイ企業がHCMCで取る行動は極めて南部の社員に対して差別的になるというのがこの事件の背景です。

この問題に対して社長は、苦情を言ったHCMCの担当を非難した上で、この問題の是正に動くことはありませんでした。
南北問題がどうあれ、同じ企業の社員を公平に扱うのが、一つの企業として事業を行う上では必須なのですが、そうした正論が全く通用しませんでした。

そのほか、日系パートナー企業が持ち込んだ案件のユーザーについて、その後のフォローが無い場合は、無断でそのユーザーにアクセスして当初の商流を無視するということが頻繁に行われ、日系パートナー企業の信頼を失って行きます。
こうしたことに意見をしても聞く耳を持たない社長の元で働くことは出来ないため、私はこの会社を去りました。
このような指導者の居る会社を社員達は選びません。
自分達が社員を選ぶのと同時に、社員から選ばれる経営者でなくてはなりません。
その後、HCMCの部下達も次々と退職し、最終的にはHCMC支店はハノイメンバーが出張する際の拠点の位置づけになっていったようです。

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